サッカーdeしりとり vol.67
千代反田充の「る」より
ルボミール・ルホビー
ルルと言った方が分かる人が多いかも。
ルボミール・ルホビー(Lubomír Luhový)
1967年3月31日生まれ 出身:スロバキア
身長:184cm ポジション:FW
86 インター・ブラチスラバ(チェコスロバキア)
86-88 デュクラ・バンスカ・ビストリカ(チェコスロバキア)
88-90 インター・ブラチスラバ(チェコスロバキア)
90-92 マルティーグ(フランス)
92-94 インター・ブラチスラバ(スロバキア)
94 浦和レッドダイヤモンズ
95-97 インター・ブラチスラバ(スロバキア)
97-98 スパルタク・トゥルナバ(スロバキア)
98-99 グラーツァーAK(オーストリア)
99-00 クラーゲンフルト(オーストリア)
00-? ペトルジャルカ(スロバキア)
? フテルニツァ(スロバキア)※プレーイングマネジャー
アルゼンチンを中心とした南米路線だった浦和の外国人選手。
それを欧州路線へ変更してゆく過程の初期の選手。
クラブではミロに続く2人目のスロバキア出身。
「ルル」と言う可愛らしい愛称ながら184cmの長身の持ち主で、
チェコスロバキアリーグ得点王の肩書きを持つため、
得点力不足解消の切り札として期待された。
しかし、開幕前のキャンプで骨折し、出鼻を挫かれてしまう。
ようやく1stステージ後半戦で初出場すると、
その試合のファーストタッチで初ゴール。
2ndステージの清水戦(草薙)でのハットトリックなど、
シーズン終了までに16試合8得点と一応の結果を出す。
が、結局1年で日本を後にした。
離日後はスロバキア、オーストリアのリーグで活躍し、
97/98シーズンにはスロバキアリーグ得点王にもなっている。
代表ではチェコスロバキア代表で2試合、
そして、分離独立後はスロバキア代表で9試合経験した。
ルボミール・ルホビー
ルルと言った方が分かる人が多いかも。
ルボミール・ルホビー(Lubomír Luhový)
1967年3月31日生まれ 出身:スロバキア
身長:184cm ポジション:FW
86 インター・ブラチスラバ(チェコスロバキア)
86-88 デュクラ・バンスカ・ビストリカ(チェコスロバキア)
88-90 インター・ブラチスラバ(チェコスロバキア)
90-92 マルティーグ(フランス)
92-94 インター・ブラチスラバ(スロバキア)
94 浦和レッドダイヤモンズ
95-97 インター・ブラチスラバ(スロバキア)
97-98 スパルタク・トゥルナバ(スロバキア)
98-99 グラーツァーAK(オーストリア)
99-00 クラーゲンフルト(オーストリア)
00-? ペトルジャルカ(スロバキア)
? フテルニツァ(スロバキア)※プレーイングマネジャー
アルゼンチンを中心とした南米路線だった浦和の外国人選手。
それを欧州路線へ変更してゆく過程の初期の選手。
クラブではミロに続く2人目のスロバキア出身。
「ルル」と言う可愛らしい愛称ながら184cmの長身の持ち主で、
チェコスロバキアリーグ得点王の肩書きを持つため、
得点力不足解消の切り札として期待された。
しかし、開幕前のキャンプで骨折し、出鼻を挫かれてしまう。
ようやく1stステージ後半戦で初出場すると、
その試合のファーストタッチで初ゴール。
2ndステージの清水戦(草薙)でのハットトリックなど、
シーズン終了までに16試合8得点と一応の結果を出す。
が、結局1年で日本を後にした。
離日後はスロバキア、オーストリアのリーグで活躍し、
97/98シーズンにはスロバキアリーグ得点王にもなっている。
代表ではチェコスロバキア代表で2試合、
そして、分離独立後はスロバキア代表で9試合経験した。
by whirlwind0164
| 2007-02-25 22:30
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