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20,November

サッカーdeしりとり vol.19

ポスティガの「が」より

ガブリエル・バティストゥータ



ガブリエル・オマール・バティストゥータ
(Gabriel Omar Batistuta)

1969年2月1日生まれ 国籍:アルゼンチン
身長185㎝ ポジション:FW

1986-87 レコンキスタ・サンタフェ
1987-89 ニューウェルス・オールドボーイズ
1989-90 リバープレート
1990-91 ボカ・ジュニアーズ(以上アルゼンチン)
1991-00 フィオレンティーナ
2000-03 ASローマ
2003     インテル・ミラノ(以上イタリア)
2003-05 アル・アラビ(カタール)
アルゼンチン代表

バティ、である。
個人的には、ファン・バステン、クリンスマン、ファン・ニステルローイに並ぶ
お気に入りストライカー4天王の一人だ。

若くしてニューウェルス、リーベル、ボカと名門を渡り歩き、代表にも選出される。
1991年に出場したコパ・アメリカで、優勝・MVP・得点王を獲得し、世界から注目される。

1991年、イタリアのフィオレンティーナへ移籍。
初年度に13ゴール、2年目には16ゴールを上げ、エースとして認められる。
しかし16ゴールを決めた92/93シーズン、チームの内紛が原因でセリエBへ降格してしまう。
シュテファン・エフェンベルグ(ドイツ)、ブライアン・ラウドルップ(デンマーク)の
両代表選手がチームを離れる中、バティだけは残留を決意。
その事でヴィオラ(フィオレンティーナの熱狂的ファン)の信頼は絶対的なものとなり、
フィレンツェの街には彼の銅像が建てられる程だった。

圧巻だったのは昇格したての94/95シーズン。
開幕からゴールを重ね、開幕11試合連続ゴールのセリエA記録を作ってしまった。
結局26ゴールを上げて、自身初の得点王を獲得した。
その後もルイ・コスタ(ポルトガル)との絶妙なコンビで得点を重ね、
フィオレンティーナは度々優勝争いに加わる強豪となった。

9シーズンの長きにわたって在籍したフィオレンティーナからローマへ移籍したのは2000年。
セリエA優勝にこだわった末の決断だった。
そして移籍1年目の00/01シーズン。
20ゴールを上げる活躍でローマの18年振りの優勝に大きく貢献。
バティは初めてスクデットを獲得した。

バティはクラブレベルだけでなく、代表レベルでも目覚しい成績を上げている。
初出場となった94年アメリカ大会。
初戦のギリシャ戦でいきなりハットトリックの大活躍。
4試合で4ゴールを奪い、マラドーナの薬物使用での大会追放、
チームの決勝トーナメント1回戦での敗退と、暗い話題が目立ったアルゼンチンの中で、
バティの活躍が唯一明るいニュースだった。

続く98年フランス大会。
日本戦で決勝ゴールを上げると、ジャマイカ戦では2大会連続となるハットトリック。
ベスト8で敗れたが、5試合で5ゴールを積み上げた。
2002年の日韓共催大会でも1ゴールを上げたものの、
チームはまさかのグループリーグ敗退。
通算で12試合10ゴールと抜群な個人成績とは裏腹に、
チームとしては満足いく結果を残せなかった。

ローマで出場機会が減ると、クレスポの代役としてインテルへ移籍。
その後カタールリーグへ新天地を求め、25得点で得点王を獲得。
2005年引退表明。

アルゼンチンリーグ:52試合21得点
イタリア・セリエA:318試合184得点
      セリエB: 26試合 16得点
カタールリーグ:?試合25得点

セリエAではシーズン20ゴール以上を5度記録。
アルゼンチン代表では78試合54ゴール。



by whirlwind0164 | 2005-02-12 22:44 | サッカー de しりとり

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